ふと窓の外に目を向けると、先ほどまでちらちらと舞っていた雪はやんでしまっていた。数秒、すがるように視線をさまよわせ、小さく息をついて画面に向き直る。書きかけの原稿はまだ白のほうが大きい。
恋愛小説を。冬だから。編集者はくっきりした笑みを浮かべて言った。ああ、とさも得心したふうにうなずいてみせたものの、ゆかりの心は窓の外と同じくらいには冷えていた。恋をしている者には冬も春も関係ない。人間は一年中発情する動物だ、やれやれ、と眉をひそめたのはどこの猫だったか。あらぬところに思いを飛ばすのは、できるだけ決断を先に伸ばしたいからだ。どうせ否とは言えない。まだまだ学生らしさの抜けない年若い編集者は、それでも事実上ゆかりのクライアントだった。
「作家を名乗ってくつもりなら、そろそろ書け」
電話の向こうで親友はそれだけ言って黙った。ゆかりも黙っていたので、両者共に電話を切るタイミングを逃し、結果的にその日の通話はずいぶん長いものになった。空っぽの会話。
5年前はどのくらい寒かったか、ゆかりは糸をたぐるように記憶を辿るが、さっぱり思い出せない。肌を刺す風が吹いていたような気がする。息を吸い込むことさえ辛かったような気がする。それらは全て、精神状態が影響した偽の記憶のような気がする。
依。
けっして名前を呼ぶなと言われた。思い出すことすら暗に禁じられた。
「道ができてしまうから、アレが戻ってしまうから」
「少なくとも49日間は絶対に、できれば3年」
置かれた手紙の端正な文字は、端から滲んで見えなくなった。なんだその区切りは、まるで弔いではないか、うめくような叫びを、その頃はまだ親友でなかった親友は、固く目をつぶって聞いていた。膝の上で拳がふるえていた。
あれから5年。宣告された期間からも、もう2年が過ぎた。
20代前半の駆け出し作家にはきわめて珍しいであろうことに、その間、「恋愛」を書けと言われることは一度もなかった。
そろそろ呼んでもいいだろうか。
思い出してもいいだろうか。
窓の外はどこまでも暗い闇である。


【2012/02/16 記】


(2013.11.04)


モドル