あの日以来、私の世界から色は消えてしまった。
中天を過ぎた太陽の光はそれでも家の奥深くまで差し込む。廊下の色がまだらに変わる。白と黒。コントラストの強さに目が眩んだ。ダイニングの椅子を引き、腰かける。今日はまた一段と何もやる気がしない。昨夜もあまり眠れなかった。クーラーを長くつけると寒がりの夫が嫌がるのだ。毎晩、不機嫌そうにケットにくるまる彼に腹を立てることはない。ただ不思議に思う、5年前の冬の日以来、百合は寒さなどものともしない体になってしまったから。実際感じないのだ。あの晩、やはりこの椅子に腰掛けてひたすら電話を待っていた時の痛いような床の冷たさ。あれ以上のものはこの世にない気がする。
行方不明者の死亡宣告には7年を要するそうだ。おおよそ3年を過ぎた頃から、夫はただその日を待っているように百合には見える。とんでもないことだ。一度、引っ越そうかと言われた時は、彼がたじろぐほどの激しさで反対した。夫の言うことにさからうなど、それまでの百合には一度だってなかった。単純に喧嘩というものが恐ろしかったこともあるし、彼は彼女にとって文句なしの配偶者だったし、何よりやっと得られた己の夢、平穏な家庭を壊したくなかった。だがその時、それはすでに壊れてしまっていたので。
部屋の隅に無視できない大きさの綿ぼこりを認め、百合は一層気鬱になる。掃除をしなければ。アイロンがけも溜まっている。しかし身体は血管に鉛を流し込まれたように重い。ああそうか、薬を飲むのを忘れていたからだ。昼食は食べたっけ?
2年ほど前、床を上げることすらできなくなってしまったことがあった。その頃に比べればするべきことを頭の中で列挙できる程度には体調は回復されていたが、しかし百合は立ち上がることができない。
出窓から差し込む光はいつのまにかその形を変えていた。黄昏が近づく。息子が消息を絶ったその時刻、百合は自分の内側を灼く焦燥をなだめるのにいつも苦労する。けれどそのことにすらいつの間にか慣れてしまった。
そしてまた夜が来る。


【2012/02/26 記】


(2013.11.09)


モドル