不規則な振動が痛めつけられた全身に容赦なく響く。骨の二、三本は折れているだろう。腫れ上がったまぶたでほとんど何も見えない。だが仮に瞳を皿のように丸くできたところで、視認できるものなどせいぜい袋地の粗い織目くらいのものだったろう。散々殴られ蹴られしたところで麻袋に放り込まれ、猪か何かを捕らえたときのように前後に渡した棒にくくりつけられ、今、絳は山道を登らされている。正確には、登っているのは前後を担いでいる村の男どもだが。
捕らえられてから一昼夜。私刑の途中で意識を失えばその都度冷水を浴びせられた。それでも棒で打たれる以外のことをほとんどされなかったのは意外だった。もっと酷いことを想像していたから。実際、最初はいやらしい笑みを浮かべた若い衆が手を伸ばしてきたのだが、庄屋の隠居が一喝した。
「鬼に触れるな。穢れる」
手は寸前で止まった。みるみるうちに青ざめる男を嘲笑ってやろうとして凍りついた。男の後ろに立っていた少年。面差しはずいぶん変わっていたが、それでもすぐわかった。絳に触れようとした男と同じくその顔は色を失い、目だけがぎらぎらと光っていた。絳が観念した瞬間があるとすればこの時だったろう。足元の大地が頼りなく崩れていくような気がした。あとは、されるがままだった。
どさり、と乱暴に落とされ絳の意識は現実に引き戻された。ざあざあと水の流れる音が聞こえる。ああ、あそこかと思うまもなく引きずり出された。狭い視界に白い手が見える。手は乱暴に絳を立たせ、襟や裾を軽く整えようとするので絳は精一杯の力を振り絞って嗤ってやった。手が止まる。すぐ息が切れてしまったので、息継ぎついでに言葉を放つ。
「癸之介」
手はびくりと震える。予想通りの反応に満足し、徐々に視線を上げる。しっかり目を捉えたところでもう一度口角を上に引き上げようとしたがそれは失敗に終わった。せめて渦巻く感情の波にさらわれないよう、しっかりと足を踏みしめる。そして言った。
「ひとごろし」
まっくらな絶望に落ち込んだ人間の表情を、生涯忘れることはないだろうと思った。思った直後に、その生涯とやらももう一刻も保たないことに気づいておかしくなった。
まあ実際、もう少し長くは続くだろうけれども。目の前の男の顔を見つめながら、永遠に似た一瞬の中で絳は思いを巡らせる。
母の恨みを晴らすまではたとえ死んでも死にきれぬ。人は死んだら魂だけになるという。ならば魂のまま現世(うつしょ)に留まるだけだ。あの女を血に染める日まで。
だから。
だからたぶん、もう少しだけ覚えていられる。


【2012/02/28 記】


(2013.11.10)


モドル