「で、何かあったんですか」
不意の質問に明神は目をぱちくりとさせた。
「何か……あったかなあ……?」
「いや私に聞かれても」
真面目な顔で突っ込みを入れ、ゆかりは、
「じゃ、何もないんですね。よかった」
と笑った。明神もつられて笑った。
「なになに、俺が落ち込んでると思ったの?いい奴だなあゆかりん」
「だって明神さんがお酒飲むとこなんて見たことなかったですもん」
言われてまじまじと手の中の缶を見る。
「言ってもあれでしょ、これそんなに強くないんでしょ」
「いやアナタはそれでいい」
びしっ!と左手を突き出すゆかりの、反対の手には大ぶりの湯呑。中身は先代明神秘蔵の日本酒だ。二杯目をちびちびと啜る彼女の顔色は、普段と全く変わらない。
事の起こりは半時間ほど前。ちゃちゃっと陰魄を退治した帰り道、いつも立ち寄る自販機(オール100円)が壊れていたので隣を使った。缶ジュースにしては値段が高い気もしたが、その分美味いのかもと若干の下心で気前良く150円を投入した。シュワシュワと音を立てて弾けるそれを一口含めば、疲れた身体に染みとおる爽やかなレモン味。うまいじゃーん。ちょっと贅沢な気分で足取りも軽く古巣の玄関を開けると、この春入ったばかりの店子が、いつも通りに声をひそめておかえりなさいと言いかけ、先程の自分のように目をぱちくりとさせた。そこで初めて、手にもっているのが氷なんたらいうアルコール類だと気づいた次第。
折角だから飲もうぜ!と、妙に陽気な明神を気遣ったか、店子は書きかけの原稿を放って付き合ってくれている。押入れから秘蔵のブツを取り出した明神を一瞥したかと思うと、足音を忍ばせて台所へ行き、きゅうりと味噌とベビーチーズを携えて戻り、そしてしつこいほどチーズを勧めた。なんでも乳製品を摂っておくと酔いの巡りがゆるやかになるそうだ。
「ねえねえそれ一口ちょうだい」
「……一口ですよ」
湯呑を受け取り、傾ける。
「…………酒の味がする」
「そりゃ酒ですから」
ほらもうおしまい!と湯呑を取り返す手に見覚えがある気がして、記憶を探る。なんて、探るまでもない。自然と笑みがこぼれた。いぶかしげなゆかりをいたずらっぽく見返す。
「師匠がさ」
「はい」
「今とおんなじこと言った」
「酒だから、って?」
「そうそう。もうおしまい、っていうのも」
へえ、と柔らかに微笑む新メンバーを、いつのまにか自分がとても好きになっていることに気づく。いつもいつも一人だった自分がアイツに出会い、この場所を得て。エージやアズミやガクやツキタケ、初めて居着いてくれた生者の姫乃と母の雪乃、果ては陰魄だったパラノイドサーカスまで。そして今、新しい縁ができそうな、生者の彼女。飄々としていて掴みどころがなく、そういうところが少しだけアイツに似ている彼女。
「俺ゆかりんのこと好きだー!」
「またいきなりだな!ええと、ありがとうございます。私も明神さん好きですよ、大家的な意味で」
なんだよそれ、とケラケラ笑う明神を呆れたふうに見やり、
「いいっすねー明るい酒で」
体育会系口調になるのは照れている証拠だと、最近わかってきた。


【2012/03/03 記】


(2013.11.13)


モドル