ごわごわした生地の肩掛け鞄から取り出されたのは、意外にも児童向けの本だった。
「ズッコケ……やま……」
「山賊修業中。あれ、ズッコケ知らない?」
首を振る。
「そっか今の子は知らないかー、ガクリン知ってる?」
ツキタケの隣に立つ男はいつもの通り陰気に頷いた。
「『ズッコケ(秘)大作戦』は名作だ」
「あ、ガクリンはあれなんだ。私はこれかなあ」
言いながらリビングのソファに座り込んだかと思うと、ゆかりはくりっと目を動かしてツキタケを見、ぽんぽんと脇の座面を叩いた。
「暇だったら一緒に読もう」
びっくりしてガクを見上げる。これまた意外なことに、普段、彼女にあまり近づこうとしない彼は、
「もうちょっと端に寄れ。俺が座れない」
この突発読書会に乗り気であった。

ぺらり。ゆかりの細い指が頁をめくる。
少し間を置いて、また、ぺらり。
最初は読み終えるたび、「いいよ」と言ったり頷いたりしていたのだが、物語が佳境に入ってくると余裕がなくなり、そんなツキタケの読むペースをいつの間にか会得したゆかりが、頃合を見計らって無言でめくるというスタイルに落ち着いた。
クライマックスの脱出シーンが終わり、ツキタケは詰めていた息を吐いた。降り続ける雨音が耳に戻ってくる。ふと視線を感じて顔を上げると、にこにこ笑うゆかりと目が合った。
「やったね」
「うん」
思わず力強く頷き、少し恥ずかしくなって目線を落とした。しばらくして、ぺらり。

最後の一行を読み終え、ツキタケは大きく息をついた。右隣がもぞもぞするので見ると、ガクが伸びをしていた。左隣のゆかりはあとがきを熱心に読んでいる。呼び掛けようとしてためらった。入居からひと月、ツキタケはまだ彼女の呼び方を決めかねているのだ。ネーチャンは姫乃、アネゴは澪。ゆかりネーチャンは長くて面倒だし、順当なのはアネキなのだが、
「どうしたツキタケ」
それではアニキと対のようになってしまう。ツキタケ自身は可とも不可とも感じないのだが、なんとなく遠慮のようなものが働いた。理由はわからない。
「どうだったツキタケ君、初ズッコケは」
結局こうして今日も決められないままだ。
「すっごく面白かったっす!」
「でしょう」
「なんでお前がいばるんだ化野ゆかり」
どうやらアニキもまだ、新住人への距離感を計りかねているらしい。
「だからそのフルネーム呼びやめてよガクリン」
「お前は馴れ馴れしすぎるんだ」
それでも朗らかに笑う彼女はとても楽しそうで、ツキタケは少し安心した。


【2012/03/07 記】


(2013.11.14)


モドル