急に振り向くので驚いた。
「どうした?」
「いや、何か……空耳かな」
つぶやいた横顔は瞬間、はっとこわばり、勢い良く体ごと向き直ると「失礼いたしました!」よく通る声が堂内に響いた。うむ、といかめしい顔を作って沈黙、そのあわいに滑り込むか細い鳥の声。
思わず顔を見合わせる。
「ウグイス……か?」
「はい、でもこんな季節外れに」
凍えてしまわないでしょうか、続く言葉はほとんど独り言だったがなにしろ他に音を立てるもののないこの場所では聞き落としようもなく、優顕は笑みをかみ殺すのに苦労した。優しい子なのだ。いや、子という歳ではもはやない。ここに来た当初宿していた少年の面影は、流れる月日に削ぎ落され、今やすっかり青年と呼んで差し支えない風貌となった甥をしみじみと眺める。近頃は思い出すことも少なくなったあの日の記憶と共に。
雪国の冬は深く、ことに夜間、外に出る者などほとんどない。だから戸を敲かれたときは物の怪のたぐいではないかと疑った。物の怪か、死者ではないかと。そしてそれは半分当たっていた。
数年ぶりに見る甥が、幽鬼のように青ざめ、それでいて悟りをひらいた行者のように静かな表情で立っていた。
ああ、解いたなと思った。だから黙って迎え入れた。
「師匠」
恥ずかしいからやめてくれと、何度も言ったが聞き入れない。この点においてのみ、優顕は弟子を不出来な奴だと思っている。
「なんだ」
「もうじき春ですね」
「頭が沸いたか。今年の寒さは折り紙つきだ。平地とは訳が違う。あと一月、どうかすると二月は根雪が残るだろうよ」
「でも水の匂いがもう変わっています。日差しの色も。今年は雪がずいぶん降ったけどその分春の訪れも早い」
息をつぎ、口をひらいてしかしそれ以上の言葉は紡がれない。
「どうした」
ここへ来て5年、青年ははじめて見る表情になった。
「一生かかると思っていました。でもそうではないのかもしれないと、最近思うんです」
何のことかは言わない。そうするようにしつけた。だからすぐわかった。
まっすぐ目を見返す。射抜くように見返される。風に吹かれる柳のようでいて、内に火を宿している甥の性質を知らないわけではなかった。
いやな予感がした。


【2012/02/17 記】


(2013.11.05)


モドル