景色が飛ぶように後ろへ過ぎる。駅前の繁華街を抜け、突き当たりを左に曲がればあとはしばらく真っ直ぐだ。夜のドライブにはうってつけの季節、助手席には想い人。プラチナは今にも口笛を吹きそうなくらい浮かれていたが、あいにくと隣に座る女性――湟神澪はそうでないようだ。
「窓閉めろ。寒い」
プラチナは素直に従った。それきりまた彼女が黙り込むので、
「今日は泊まってく?」
と言ったら横腹を思い切り殴られた。想定内とはいえ、彼女の拳は今日も鋭い。
澪は大きなため息をついた。
「疲れた?」
「よりによって化野、とは」
「壊神の分家筋だっけ」
スルーには慣れている。
「始祖の縁者とか……案内屋は世襲ではないから、今の……先代の、壊神幽響と直接の関係はないはずだが」
澪のほうもそんなプラチナに慣れっこだ。
「化野龍彦が本名だったとはねえ。あ、下は違うんだっけか」
「お前、本当にファンなのか」
「ファンもファン、筋金入りだよ。本、全部持ってるし。俺の部屋の本棚の一番上、ずらっと並んでたでしょ」
「知らん」
大丈夫、通常運転だ。
「あの陰気野郎との関係は」
「なんなんだろうねえ。僕ら、彼の素性まったく知らないからねえ」
考えてみれば“ガク”が本名なのかあだ名なのかすら知らない。澪はくしゃくしゃと髪をかきむしり、もう一度ため息をつく。
「そんな心配することないよ。だってミオちゃんが教育するんでしょ」
「他にいないだろうが。正宗は今、東京にいないし」
「オレがいるよ♪」
「セクハラ野郎に任せられるか」
「やだミオちゃんもしかして焼きも」
本日二度目の鉄拳制裁。同じ箇所は結構きつい。しかも運転しているプラチナに、一切の防御は許されないのである。さすがに涙目で見つめるが、あいにくサングラスに隠されて必死の訴えは届かなかったようだ。
「どうした。前向け危ない」
心底不思議そうに言う彼女は、こんなときでも可愛い。恋する男子の目は曇りっぱなしである。忠告どおりきちんと正面を向き、プラチナはまた運転に集中する。
「ほんとなら地(ア)が向いてるのかもしれないけど」
「なにが」
「あの子」
「いや、あいつは水(バ)な気がする」
「血は壊神なのに?」
「ああ。それがまた奇妙というかなんというか」
最後のほうは独り言のようだった。
澪はいささか心配症にすぎる、とプラチナはつねづね思っている。もちろん無縁断世を悪い奴に奪われれば、たぶん、今の日本くらい簡単に滅びる。プラチナとてその責任を感じていないわけではない。しかしあのパラノイドサーカス、長年の宿敵だった陰魄どもと“共存”できる我らなのだ。おまけにそこに集った案内屋は、いずれも歴代最強の名に恥じぬ強者ばかり。もっとどーんと構えようよ。
そう言おうとして、いつも言えない。なぜなら彼女が悲しい目をするのがわかりきっているからだ。うたかた荘の管理人兼案内屋たる“彼”の実力を十二分に認めながら、澪は未だにその名を――受け継いだ方の名を呼ぶことはない。彼女にとっての“明神”は、まだ。
ああ、煙草を喫いたいな、とプラチナは思った。


【2012/03/09 記】


(2013.11.16)


モドル