蛇口をひねり、包丁とまな板をざっと洗う。じゃがいもの皮をむき、適当な大きさに切って面取りをし、水にさらす。玉ねぎは薄切り、人参は一口大の乱切りに。全部を切り終えたところですばやく調理器具を洗う(人参の色はこびりつくとなかなか落とせない)。肉は奮発してカレー用に切り分けられたものを買ってきたので、手をかける必要はない。
カチン。黒いつまみを90度倒せば、ボッと音を立ててゆらめく蒼い炎。何しろ年季の入ったガス台なので、つまみをすぐ離すと火が消えてしまう。心もち押し込むように力を込めて、心の中で十数える。そっと指を開くと、一瞬儚げに揺れた火はしかし、力強く燃えさかることをやめなかった。
バターのいい匂いが辺りに立ち込める頃、おずおずと隣に立ったのは娘だった。
「何……してるの?」
「見ればわかるでしょう。カレーを作っているの」
「……うん」
顔に描かれた疑問符はまだ消えない。飴色になりかけた玉ねぎを焦がさないように注意しながら、私は彼女の目を見て言う。
「ゆかりちゃん、うちのカレー好きでしょう」
「……!」
「でも一晩寝かせたほうが美味しいから、今から作っておかないと」
「……おかあさん、」
いつの間にか明神さんも台所に入ってきていたらしい。いや、彼だけじゃない。足元には、触れられなくともすぐにわかる瑞々しい魂の気配。その後ろに並ぶ少年たちは、きっと複雑な表情を浮かべているに違いない。十年ものあいだ親しんできた“彼ら”は、少し離れたところでめいめい好き勝手なことをしているようでいてその実、こちらに耳を澄ませているのがわかる。
魂は違えど、この屋根の下に集う皆の気持ちは一つだった。場に満ちる優しい想いを溶かしこむように、私は鍋に水を注ぐ。刹那、勢い良く上がる水蒸気は、いつかここを作った人が見せてくれた、成仏した魂が空に昇っていくさまのようだと思う。
「帰ってくるわよ」
浮かぶアクを丁寧に掬いながら私は自信たっぷりに請け負った。


【2012/03/10 記】


(2013.11.17)


モドル