何度目かのあくびの後、大きく身体を反らせて伸びをしたかと思うとソファに座る女は弛緩した。膝の上の分厚い本に丁寧に栞を挟むと立ち上がる。
「もうベンキョウはおしまいか」
「おしまいじゃないよ。休憩」
「さっき休憩したばっかりじゃないか」
「苦手なんだもん、小説じゃない本」
しゃあしゃあと嘯くそいつは本を書く職業だと聞いた。なのに苦手なのか。ゴウメイは首を傾げたが、
「うごいちゃだめ!」
背後から放たれた声に、内心ため息をつきながら姿勢を元に戻す。肩にまたがる小さな怪獣は、ベンキョウを放棄した女よりもよほど根気強くゴウメイの触覚をちょうちょ結びにする遊びに耽っている。そろそろ解放してほしい。
と、グラス入りの麦茶を手に持った女――ゆかりが戻ってきた。伸び上がるようにひょいとアズミの手元を覗き込み、
「おおきれいにできたねアズミちゃん」
えびす顔で誉めたのでアズミは誇らしげに胸を張ったが、ゆかりが側に寄った瞬間わずかに肩が跳ねたのを、ゴウメイは伝わる振動で知る。けっして嫌っているふうではなく、ゆかりが眠っている時はむしろ積極的にくっついていく様子も見られるのだが、この少女はどうも彼女を苦手にしている節がある。鈍感なゴウメイが気づくくらいなのだから当然皆も知っている。知っていて、理由がわからないので遠巻きに見守っている。アズミに聞いても要領を得ない答えが返ってくるばかりなので、とうの昔にゴウメイはこの問題について考えることを放棄した。
そのことはたぶんゆかり本人もわかっているのだろう。邪険にしない程度にアズミを構うことはするが、それ以上近づこうとはしない。
めったに崩れることのない笑顔は、何を考えているのか皆目わからない。
だから余計な世話と思いつつ、
「それつまらないのか」
「んーん、人によっては面白いと思う」
なんとなく彼女とアズミが同じ場所にいる時には、気を遣って話しかけてしまう。この俺様が!
「つまらないんじゃないか」
「……つまらない本なんてこの世にはないのよゴウメイ君」
「意地っ張りめ」
「何おぅ!」
「おう、やるか」
「ごめんなさい勘弁してくださいゴウメイ様」
即座に額を床に擦り付けるゆかりに、浮かしかけた腰を渋々戻す。ひと月ほど前、サングラス野郎に伴われてボロボロになって帰ってきた日、この女が纏う剄は確かに以前よりもその強さを増していた。もちろん明神や湟神のヒヨッコには遠く及ばないがそれでもちょっと闘ってみたい欲求にかられたゴウメイは、日々そのチャンスを狙っているのだがこの平和主義者はなかなか誘いに乗ってこないのだ。
むくれた雷猿の耳に、やがてかすかに響く言い合いの声が届く。この方角は裏庭、となればきっとグレイとあのコート男だろう。ああまたか、とぼやく声を聞きながらゴウメイはアズミを降ろそうとゆっくり背後に手を伸ばす。


【2012/03/16 記】


(2013.11.20)


モドル