触れた手は火のように熱かった。体温などとうに失ったはずなのに。
整った顔立ちを惜しげもなくゆがめ、あふれる涙を拭おうともしないのは下の妹。上の妹は唇を固く引き結んで唐突に上を向いた。すわ、追っ手かと見上げるが視線の先にはただ騒々と蠢く木の影だけで、紅は少しだけ緊張をゆるめる。ここは森の最深部だ。欠けはじめた月の光はここまでは届かない。
傷口からじわじわと魂が壊れていくのを感じていた。あの男がここまでの力を持っているとは予想外だった。こんなに早く動くということも。先に死者を弔ってやるのが筋だろう、と毒づきかけて苦笑した。殺したのは自分たちだ。
上の妹はまだ首を下げようとしない。泣きたくなったら上を向け、涙をこぼす暇などないだろうと彼女を叱ったのは、そういえばかつての自分だった。それがどのくらい昔だったかを思い出す時間はもうなさそうだ。
「手を離して、茜」
下の妹はむずかった。らちがない。自由な方の手でその手首を掴み、有無を言わせぬ強さで外すと彼女はひときわ大きくしゃくりあげた。両手で肩を押しやる。
「茜をよろしくね、絳」
ようやっとこちらを向いた妹のまなこはやはり赤かった。が、やはり一言も話さぬままであったがこちらの目を見てしっかりと頷いたので、紅はようやく安心した。唇のはしをかすかに上げ、すぐに直して主人に向き直る。
傷つき、土埃にまみれていてもやはり主は美しかった。高貴な顔立ちにはしかし苦渋の色が浮かんでいる。小さく首を振った紅を見、眉間のしわはますます深くなった。大丈夫です、と紅は思う。全部わかっています。古い約束を破ってでもあの青年を殺さなければならなかった理由を。あなた様の大切な友人を傷つけた人間は、私にとっても仇です。だからいいんです。
主の表情が変わった。ばさりと上衣を脱ぎ捨てたかと思うと突き出す。面食らった紅をいつもの不敵な表情で見据え、高らかに託宣を下した。
「儂の身代わりになるなど百年早い。そもそもそなたの赤衣(アカゴロモ)では偽物だとみずから白状しているようなもの。下賜するのではないぞ、必ず返せ」
泥にまみれてなお白い、夜目にもまばゆい純白の衣を押しいただくようにして紅は受け、できるだけ大きな音を立てるようにして羽織った。見かけだけでもこの尊い方に似せられるよう。
そうして主従は逆転する。みずから白を剥ぎ取った女が、その下に纏っていたのは燃えるような赤。焼きつけるようにそれを見、もはや女となった少女は駆ける。傷めた足に鞭を打ち、走りに走って、散らばるまるい光が見えたところで止まった。
光が一点に集まる。眩しさに一瞬目を細め、女は高々と名乗りを上げた。
「我が名は白糸!人間風情が小賢しい、返り討ちにしてくれるわ!」


【2012/02/20 記】


(2013.11.06)


モドル