※ 今回、原作で表現されている以上のキヨイ×コクテン描写がございます。また、パラノイドサーカスの関係性について独自の解釈を加えています。ご注意ください!!



「キーヨーイ」
翼竜のそれに似た大きな羽根を羽ばたかせながら、愛しい愛しい男性(ひと)の隣に並ぶ。
足場のない中空に彼は優雅に浮いていて、
「コクテン」
振り向いた顔は今日も美麗に爽やかだ。コクテンは自分の口元がだらしなく緩むのを自覚し、
「ヨダレが出てるぞ」
冷たい声に一転、目を剥いて、彼の反対隣に佇むロップイヤーに詰め寄った。
「出てない!乙女に何てこと言うのアンタは!!」
「な゛っ……」
「Wait, 待って、コクテン。それ以上首を絞めるとグレイが死んでしまうよ」
「いーのよキヨイ、こんな奴死んで死んで死にまくれば!!地獄に落ちろ!!」
思うさま揺すぶったのちに勢いよく突き飛ばすと、顔を青くしたグレイはぜいぜいと激しい息を吐きながら自身の胸元を強く押さえるようにし、それを見たゴウメイが呆れたように鼻を鳴らした。やはり椅子も何もない空の真ん中にどっかりとあぐらをかいている彼は、普段は何だかんだ言ってもクロックラビットと仲が良いのであったが、今日に限っては《もう死んでるだろ》などという親切なツッコミをしてやる気はないらしい。
その貌には珍しく、薄い疲労が滲んでいた。
そんなもの、無視してやっても良かったのだが。
「……どうしたのよ、ゴウメイ」
コクテンは何しろ紅一点。パラノイドサーカスの癒し担当を自認する立場としては(今、これはモノローグのはずなのにグレイから『図々しい!』という指摘が入った。後でシメることにする)、様子のおかしい者を拾い上げるのは大切な役目だ。癒し担当であり、キヨイの恋人であり、片腕でもある自分の、これは誰にも渡せない役割だ。
「んー」
逞しい首をかわりばんこに左右に曲げて、雷猿は何とも言えない顔になった。
「アイツ、何考えてるんだろうな」
「アイツ?」
「ああ、えーと、ユカリ」
それは予想できた展開だったが、コクテンはやはり意外に感じた。
ゴウメイはいわゆる筋肉バカ、対する化野ゆかりはペンより重いものを持ったことがないような、完全なるインドア派だ。二人が話しているところなどコクテンはとんと見たことがないし、話が合うとも思えない。また、脳みそまで筋肉でできているような彼が他人を気にする(思いやる……心配する?)素振りを見せるのもきっと初めてだと思う。
まさか、
「まさかアンタ、ああいうのがタイプなわけ?」
「はあ?」
心底訳がわからない、という表情にどうしてかコクテンはホッとした。無論彼女が愛するのは未来永劫ただ一人――素敵で無敵な我らがリーダーであることは自明の理であるし、それこそこんな上から下まで無駄にモジャモジャした喧嘩野郎は好みのこの字にも引っかからない。
だからそんなおかしな気分にはキッパリ無視を決め込んで、ただ自身の役割を果たすためだけに雷猿の前に立ちはだかる。
「じゃあ何で気になるのよ」
腰に手を当て胸を張るコクテンを見、ゴウメイはポリポリと頬を掻いた。
「……あの、手紙、か?……お前ら、意味わかったか?」
誰からともなく顔を見合わす。キヨイはいつも通りの涼しい顔、グレイは――今、眉間に皺を寄せた。
「karma――業、か」
ポツリと呟いたキヨイの唇は相変わらず微笑みを象っていて、コクテンの胸の真ん中をヒヤリとしたものが滑り落ちる。
「雪乃や姫乃と同じだね。自分ではどうしようもない――いや、違うのか」
そしてキヨイは目を細める。まるで遠くの何かをしっかり捉えているかのように。
「ユカリの弱さが犬塚ガクと雉ノ葉ツキタケを殺した。のみならず、彼女の恩人――ヨル、とか言ったっけ?その、彼も」
「それは」
グレイがキヨイの発言の途中で口を挟むなど滅多にないことだった。
鋭い眼差しに捕らえられ、それでも唾を飲み込んだクロックラビットは震える唇を押し開ける。
「ユカリの想像――思い込み、で」
「Great! その通りだよ、グレイ」
言葉とは裏腹にキヨイの瞳は一欠片の笑みをさえ宿していない。
「But, だけど重要なのは、ユカリにとっての真実がそれだということだ」
そうしてかつて全人類を呪っていたバフォメットは、いやに人間くさいやり方で表情を解いた。
「明神とはまた別の種類の馬鹿だね、あの子は」
「……キヨイ」
不安になってその袖を掴んだ。優しい優しいコクテンの恋人は、長い指で丁寧に髪を撫ぜてくれる。
その柔らかさ、そのつめたさ。彼は博愛の人であり、境界というものを歯牙にもかけない。
コクテンのことだって、
「だから腹が立つんだ!!」
と、突如上がった怒声に柄になく肩を震わせてしまった。
視線の先にいたのはグレイ。色白の細面が今はうっすら紅潮している。色味の元となる感情は、彼みずからが宣言するまでもなく誰の目にも明らかだった。
「アイツは自分の見たいものしか見ない!!自分がどれだけ恵まれているか考えたこともない!!」
「それは言い過ぎじゃないかな、グレイ」
「キヨイ、あなたはあの小娘に甘すぎる!!呪いがなんだ、業がなんだ!!そんなものっ……」
なぜこうまでクロックラビットが怒るのか、コクテンにはそれこそ想像が及ばない。ゴウメイほどではないにせよ、彼と彼女の間に言うほどの接点はないはずだ。せいぜいあの陰気な陽魂、犬塚ガクを介するくらいしか――
目が合った。燃える瞳に昏い陰が射し、すぐになりを潜めた。
――グレイは。
「……あいつは動くぞ」
音の並びは全く同じ、けれど此度の単語が指すのは話題の中心たる彼女――ゆかり、の、従兄妹のことだとすぐにわかった。なぜか。
「あんなもの読んだら」
「……ねえ、グレイ」
「なんだ」
瞳の奥に揺らめく炎は青でなく赤だ。この同輩がこういう怒り方をするのは珍しい。こういう――憎しみでなく、何だかわからないけれども温かなものが芯にある怒りは。
「……なんでもない」
彼があの暗い青年に、自身を重ねていると知ったのはいつのことだったろうか。
青年――ガクが桶川姫乃に、文字通り捨て身のアタックを繰り返しては玉砕する姿をうたかた荘の住人の大半は呆れ顔で眺めていた。無論コクテンもだ。
けれどグレイは違った。
事あるごとに彼に突っかかられるのは例えばコクテンも同じだったけれど、ガクへのそれとコクテンへのそれは根本的に違っていた。
彼がガクに抱く想いは共感、であり、
彼がコクテンに向ける想いは、
嫉妬、
だった。
――そんなの、私だって。
「僕もそう思うよ」
言ってキヨイはグレイに触れる。同意のしるしのスキンシップ。それ以上の意味はそこにない。
それでもグレイの背中の筋肉は瞬時に緊張したし、それに気づくのはいつもコクテンしかいない。
「グレイはさすが、犬塚ガクをよくわかっている」
「そんな……それはキヨイだって……」
長い耳の先端がかすかに震える。知ってか知らずか、キヨイはもう一度グレイの肩を叩いた。
そこに言葉はない。
コクテンはいつも、そこに入ることができない。
拳をギュッと握りしめた。彼らから見えない位置を慎重に選んで。

コクテンはキヨイを愛している。
キヨイもコクテンを愛している。
グレイはキヨイを愛している。
キヨイもグレイを愛している。

キヨイの愛は平等だ。自分を害さない、そして自分を慕う者に分け隔てなく与えられる。
コクテンには異性であるという武器があった。またそれを武器にする以前に彼女が彼に抱く想いは恋愛感情であったから、自ずとそれはそういうことになった。
グレイは理性のカタマリのような男だ。さらに、彼がパラノイドサーカスに向ける仲間意識は非常に強いものがあったから、表面上、彼らの間に決定的な亀裂が入ることはない。今までも、そしてこれからも。
――でもね、それは、グレイが我慢してるせいだけじゃないよ。
コクテンは思う、今見たような光景を目にするたびに。
――わたしも同じだけ嫉妬、しているからなんだよ。
コクテンには自信がない。自分がおんなでなかったならば、こうして彼の隣にいることができたろうか?
キヨイは賢かった。彼がいなければ、あの忌まわしい真霧の呪縛を断ち切る前にコクテンたちは死んでしまっていただろう。復讐もすることなしに。
グレイもキヨイほどではないが、賢かった。パラノイドサーカスが着々と力をつけることができたのは、彼の貢献に負うところも大きい。彼はいつでも冷静で、口にすることはないがコクテンは何度もそのことに助けられてきた。
コクテンは愚かだった。怒りのあまりに異天空間(トバリ)を無理に行使しようとしたことは数知れない。普段から頭に血が上りやすく、また短絡的な思考をしがちな己を、コクテンは本当は嫌っている。
「……キヨイの言う通り、ユカリは大馬鹿です」
静かな声に我に返る。発話者はグレイだ。
彼の姿を映したような、愛に活きる男・犬塚ガク。その従兄妹であり、おそらく今はガクと相思相愛の女性・化野ゆかり。
ガクへの想いが共感なら、彼はゆかりへは何を思うというのだろう。
コクテンの疑問ははからずも次の瞬間、解消される。
「顔を上げて、目の前を見ろ。お前が何を持っているか、確かめてから物を言え」
独白のようなそれは、間違いなく今ここにいない彼女への彼流のエールであり、
「……アンタ馬鹿ァ?そんなの本人に言いなさいよ」
勢い余って赤面する彼の、恥ずかしさを減らすためにフォローをするのはやっぱりコクテンの役目である。
――だって、ライバルだもんね。
「なっ……おまえはいつもいつも!!」
毛を逆立てて怒る彼にあっかんべーをし、コクテンはフワリと飛び上がる。少し高いところを流れる風を掴まえて、いつかうたかた荘の皆で行った海で体験した波乗りのように。
今、ゆかりがいるのはどっちの方向だろう。広がる水色を遠くまで見渡す。先ほどのキヨイを真似て目を細める。
正直な話、人間などに興味はない。コクテンとその仲間たちが幸せに暮らせる世界があれば、他に何もいらないとコクテンは今でも思っている。こんなところにいるのはただの気まぐれだ。他でもないキヨイがそうしたいというから、付き合っているだけなのだ。
けれど、
「そんじゃあまあ、キヨイとグレイがそう言うなら、心配するこたねーやな」
言って今度はゴロリと寝転がるゴウメイは感情を言葉にするのがひどく不得手な雷猿だが、そんな彼も彼なりにゆかりのことを気にかけているようだし、
「ゴウメイ、おまえ、もう少し物を考えないと馬鹿になるぞ」
「これ以上はなんねーよ」
相変わらず口の悪いライバルは言わずもがなだ。
だからコクテンはひそかに祈る、もちろん神様などではなく悪魔に(何しろキヨイは悪魔の山羊だ!)。
あのやせっぽちで変人で、とりわけ男の趣味が完全におかしい人間の女が早く帰ってきますようにと、
そのためにあの陰気なストーカー男が一刻も早く奮起しますようにと。


(2013.08.19)


モドル