園庭に現れた父の髪は乱れ、眼鏡は鼻先から半分ずり落ちていた。
「哲太がいなくなった」
小春は仰天した。酸欠の金魚のようにパクパクと口を開け閉めする彼女をちらりと見、父は思い切り眉間に皺を寄せた。
「昼休みまでは普通の様子だったのに、5時間目が始まったらいなかったそうだ。鞄も何も置きっぱなしで……」
父は長く嘆息した。
「よりによって今日、」
小春は首を傾げた。父は口に手を当てた。
「……ごめん。ともかく家に戻ろう、ママも帰ってるはずだから。パパは探してくるから、……最悪の場合、お通夜には行けないけれども」
小春はともかく頷いた。父の大きな手に引かれて足早に歩く。いつもは小春の歩幅に合わせてくれる父も、今日は余裕がないようだ。
空が厚い雲に覆われているせいだろうか、世界は全き灰色に見えた。小春の心臓は一歩ごとに速さを増す。ユウカイだろうか。イエデだろうか。でも、兄が家を出る理由なんてあるのだろうか?
すぐに家には着いた。元々小春の足で15分程度の道のりだ。父はもどかしげに鍵を差込み、回した。カチャリと控えめな音を立てて開いた扉の内はシンとしていた。けれど、母の靴はたたきに転がっていた。まだ新しい、真っ黒な布製のパンプス。
「おい、いるのか?」
応えるように何かの落ちる重い音がした。あれは二階?
「っ、どうした」
革靴を脱ぎ捨て、階段を駆け上がる父を小春は必死に追った。
電気を付けていない薄暗い廊下。
その突き当たりの扉が大きく開いており、父はその前に立ち尽くしていた。
小春は父の横をすり抜けた。
母がダブルベッドの端に座り込んでいた。散乱する衣服は季節が入り乱れており、喪服を探すのに手間取ったのであろうことが伺われた。
しかし光景をより奇妙に見せているのは、更にその上にばらまかれているおびただしい紙類だ。
大半は手紙だった。それから難しい漢字の並んだ書類らしきものがいくつかと、あとは数葉の写真――
「どういうことだよ」
低い、低い声が響いた。小春は顔を上げた。
ベッドのサイドテーブルの脇、大きな窓を背にした人影がある。
周囲とのコントラストで最初、その姿は真っ黒く見えた。
「誰だよ、これ」
人影は兄の形をしていた。けれどその表情は小春が今までに見たことのないものだった。
小春は足元に散らばる写真に目を落とした。そのどれにも(恐らく)同じ赤ん坊が写っている。彼(彼女?)を抱く人物は様々だった。ふくよかな初老の女性、幼稚園の先生のようなエプロンを付けた若い女性、背広をパリッと着こなした総白髪の老人――
背景はいずれも同じだった。幼稚園か学校に似た、石造りの黒っぽい建物。おそらくはコンクリート製の門柱にいかめしく刻まれている漢字は残念ながら読めなかったけれど、兄ならば読めるのかもしれなかった。
一葉だけ裏返しになっているものがあった。吸い込まれるように手を伸ばす。
裡面には何やら文字が書かれていたが、小春にはやはりまだ読めなかった。ひっくり返す。
ひと目で若き日の父と母だとわかる男女が写っていた。
父は背広、母は艶やかな着物姿で後ろには他の写真に写っている人物たちが勢ぞろいしている。
満面の笑みを浮かべる母の腕には赤ん坊が抱かれていた。対照的に父は、しゃちほこばって口をへの字に曲げている。そして、その集まりの主役らしい赤ん坊は、笑うでも、泣くでもなくただじっとこちら側を見つめていた。
その瞳にはたしかに見覚えがあると小春は思い、
「俺、パパとママの子供じゃないの?」
ビクリと母の肩が震えた。
母の視線と兄の視線が一瞬、交錯する。
「……テツく、」
伸べられた手を振り払い、兄は風のように廊下を駆けた。立ち尽くす3人の耳にバタンと重いドアの開閉音が響き、沈黙。
「…………ママ、」
すがりついた母の膝は、へなへなと崩れた。
「パパ、」
父は沈痛な表情で黙りこくっている。その目はただ床に注がれていた。釣られるように視線を追う。
父が見ていたのは手紙だった。長々しい文章が切れ目なく連ねられている縦書きの便箋――
けれどその末尾には一つだけ小春にも読める単語が記されていた。カタカナで書かれたそれはたぶん、名前だ。
そしてそのカタカナ――ナツというその二文字の前に置かれているのは、これまた難しいけれども見覚えのある漢字だった。兄の友人であるところの武藤一郎、彼の名札にこの漢字が使われていたはずだ。だからきっと、この手紙の差出人は《武藤ナツ》という人物なのだろう。
小春には心当たりはなかった。
しかし、一郎の母は《一郎君のお母さん》であり、その祖母に至っては《カントクんちのばーちゃん》なのだから、《武藤ナツ》が誰かしら身近な人物である可能性はある――
思いの外近くでカラスの鳴き声が響き、小春はハッと顔を上げた。
なのにまだ両親は彫像のように動かない。小春は、急に腹の底から怒りが突き上げてくるのを感じた。
このままでは、兄がどこかに行ってしまう。どこか、小春の手の届かない遠くへ。
クルリと身を翻し、全速力で疾走する。後ろで何やら声が聞こえたが、無視した。
門扉を開け放ち、小春と兄だけが知っている秘密の通路に向かう。茂みに小さな体を突っ込めば、声はすぐに聞こえなくなった。
当てなどなかった。ただ、失ってはいけないと思っていた。

***

降り出した雨は絹糸の細さで世界を白く染め上げた。
街灯に照らされて途切れなく続くそれを見つめて小春は途方に暮れている。雨宿りの場所と決めたそのかまくらのような遊具に水が入り込むことはなかったけれども、内部に設けられたささやかな座席部分は腰を下ろすにはいささか冷え切っていた。もしもオシッコに行きたくなったらどうしようと小春は泣きそうな気持ちで考える。既にすっかり日が落ちており、なお悪いことに小春には今いる場所が一体どこなのかさっぱりわからない。足が棒のようになっていたから随分遠くまで来てしまったのだろうということだけはわかるのだけれども。
あれから闇雲にいろいろなところを探した。橋の下、森の広場、丘の上――かつて二人で遊んだどこにも兄はおらず、焦燥は小春を更に遠くへと導いた。けれども泣き出しそうな空からとうとう雨粒が落ちてきて、今、小春は足止めを食らっている。そうでなくとももうこれ以上、歩けそうな気もしなかったけれど。
そういえば、上着も着ずに飛び出してきてしまった。小さな肩をそっと抱く。
一度寒さを意識してしまうとあっという間に震えが足元からはい上り、小春は何度も足踏みをした。右、左、右、左、右、左、
ジワリと滲んだ涙が丸く世界を歪ませた時、その声はした。
「君、どうしたの?」
小春は暗がりに向かって首を突き出した。けれどおかしなことに、髪にも顔にも雨が当たらない。
それもそのはず、遊具のすぐ傍には人がいて大きな傘が差しかけられていた。
白っぽいツナギ、薄いグレーのジャンパー。そしてこの季節にはいささか不似合いな赤いマフラー。紺色の傘の柄は丈夫そうな木製で、夜目にも艶々と上等そうなそれがその人の格好にそぐわないなと小春は生意気なことを思った。
「大丈夫?この前会った子だよね?」
言われるまでもなくわかっていた。彼は《おばーちゃん》と一緒にいた男の人だ。
返事をするべく小春は顔をつと上げて、
「……わあ!大丈夫、もう大丈夫だから!!」
気づけばその人の脚にしがみついてわんわんと泣いていた。なぜかしら人を安らがせる不思議な雰囲気が彼にはあった。

カップから立つ湯気に小春は目を瞬かせ、その様がおかしかったのか盆を置いた少女はくすりと笑った。
「ごめんね、ココアとか洒落たモンなくて。でも蜂蜜たっぷり入れといたよ」
「あ、ありがとう……ゴザイマス」
ギクシャクした小春の返事にこらえきれなくなったのか、とうとう彼女は体をくの字に折って笑い出す。
裾の短いチェックのスカート、紺色のセーターと白いブラウスは見たことのない制服だった。高校生だろうか、と小春は思う。
「こら、沙夜(さよ)、失礼だろう」
たしなめるのは小春を助けてくれた男性だ。
あの後、彼は少しだけ逡巡する様子を見せたけれども結局小春の手を引いてこのマンションに連れてきてくれた。とにかくあたたまらないと、と言い訳のように呟いて。
出迎えてくれた背の高い少女は開口一番、
「誘拐?」
と言い放って大いに男性を慌てさせた。挙句に尻餅をついて転んだ彼の心配は全くせずに、明るい茶色の長い髪が印象的な彼女はスッとしゃがむと、
「大丈夫、このおじさんはそんなことできるほど度胸ないから」
そう言ってニコリと笑ったのだった。
ホットミルクは体の隅々まで染み渡るようだった。通常、浮いているはずの皮膜はちゃんと取り除かれている。そのことにちょっと驚いた小春が少女を見ると、彼女はパチンとウィンクをしてくれた。
「はい、沙夜」
「ありがと」
少女に遅れて台所から戻った男性は自分の分と少女の分、二つのカップをコトリと置くと静かに椅子を引いて座った。
沈黙が場に落ちた。少女はすぐにしびれを切らした。
「なんか喋ってよ、お父さん」
「!?いや、何かって」
「だってこのコ連れてきたのお父さんでしょうが!ちゃんと説明してくれなきゃ!」
ポンポンと小気味よく飛ぶ会話はけっして険悪な雰囲気を纏ってはいなかったけれども、小春は急いで口を挟む。
「あの……さとなか、こはる、です」
「あら」
少女は目を丸くして居住まいを正した。
「ごめんね、名乗りもしないで。化野沙夜です。こっちは父の、化野皐月(さつき)」
少女――沙夜と男性――皐月は同じ角度で同時にペコリと頭を下げた。小春は思わず吹き出しかけたがすんでのところで笑いを飲み込み、そして視線を宙にさまよわせた。この家には、
「あ、母は出張中なの。大丈夫よ、気にしなくて」
沙夜は相当に聡い性質のようだった。ホッと安心した小春に微笑みかけ、おどけた様子で言葉を繋ぐ。
「ウチの工場、全然儲かってないから共稼ぎじゃないとやってけないのよ、残念なことに」
「こら、余計なこと」
「へいへい。……小春ちゃんの名前は、小さい春って書くの?」
「ハイ」
「いい名前ね。それに相当のお嬢さん。……お父さん、ホントに誘拐じゃないの?」
カップの中身――それは濃い黒色をしていたからきっとコーヒーだろう――を含みかけていた皐月は思い切りむせた。
「やっだ、もう、汚い!!」
「おま、さよ、おまえが……!!」
「はいはい、悪うございましたねっと。大丈夫、小春ちゃん」
「ハ、ハイ」
機関銃(マシンガン)トークとはこのようなもののことを言うのだろうか。小春は慣れない状況にただ目を白黒させるばかりだ。
さて、どうにか息を整えた皐月はあらためて真っ直ぐ小春を見た。
「ええと、こないだ会ったお嬢さんだよね」
「ハイ」
ここに来てから小春はハイしか言っていない気がする。自分が馬鹿になった気がしたけれども致し方ない。
「あれは確か川向こうだったと思うけど、お家はこのへんなの?」
ふるふると首を振った。皐月は困った顔になる。
「ええと……親御さんと喧嘩、でも」
「ホントにお父さんはデリカシーないわね!」
バシンと小気味よい音が響き、つんのめりかけた皐月は恨めしそうな顔で娘を見た。しかし彼女は一向気にする様子もない。
「こんなおじさんはほっといて、お姉さんに相談してみんさい」
ん?ん?と顔を近づけてくる沙夜に小春はふんにゃりと笑いかけた。そして、
「…………えっと、ごめん、ね」
ポロポロと頬を伝う涙を止めることができずにそれでも必死に言葉を紡ぐ。
「ちがう、んです、おにいちゃ、」
「え?お茶?」
「ううん、お兄ちゃん……が、」

***

沈黙を破ったのは意外なことに皐月の方だった。
「小春ちゃんはお兄さんのことが大好きなんだね」
小春は頷いた。また大粒の涙がポロリと落ちる。
皐月はどこか遠くを見るような目になった。
「その《手紙や写真》を見つけた時のお兄さんの様子、それからお通夜に関わるお父さんやお母さんの行動……これから話すのは僕が小春ちゃんから聞いた話から勝手に想像したことに過ぎないけれども」
食い入るように見つめる小春に、皐月はわずかに微笑んだ。
「年の頃が同じで、なおかつ同姓同名の人間が同じ地域にそうそういるとは思えないから、……武藤ナツさんっていうのは、たぶん、その昨日の朝に亡くなったっていうお婆さんで……昔、隣町にある児童養護施設――たしか春ナントカ学園って名前の――の、園長先生をしていた人だと思う」
「ジドウ……ヨウゴ?」
「あ、児童養護施設っていうのは、……いろいろな事情でお父さんやお母さんのいない子供が暮らすところのこと、だよ」
ドキリとした。写真に写っていた赤ん坊、そして傷ついた目でそれを見下ろしていた、兄。
「僕は直接面識はないんだけど、そっち方面の知り合いが何人かいるから……素晴らしい先生だって話を聞いたことがあって、そう、」
瞳の先にある何かを懐かしむような愛しむような、そんな表情で皐月は語る。
「地主さんの娘だったのにちっとも偉ぶらない、朝から晩までクルクル明るい働く人で地元の人にも大層評判だったそうだ。……でも、施設が資金難で経営困難に陥った時に働きすぎて体を壊して……結局施設自体は続けられることになったんだけど自分は入院することになってその時に職を辞したって、それを聞いたのが大体十年前の丁度今頃だった」
皐月は束の間、目を閉じた。突然注ぎ込まれた膨大な情報を小春は懸命に飲み込もうとしたけれども、結局湧き上がる疑問符を口にするしか術がない。
「……どうして、おじさんは」
まずは、なぜジドウヨウゴシセツなどに縁のなさそうな皐月がそこまで事情に通じているのかという、こと。彼は閉じていた目を開いた。その瞳に影が差す。
「ああ。……僕も孤児だったんだよ。その施設には入ってなかったけど」
小春は目を瞠った。こじ、とはつまり、
「父は生まれた時からいなかった。生みの母は僕が5歳の時に亡くなって、そうして引き取られたのが化野の――ゆかりお母さんの家だ」
「!!じゃあ」
皐月は、《おばーちゃん》――冬の最中なのにまるで春のようだったあの日、少し照れながら名を名乗った彼女、すなわち《化野ゆかり》――の、息子だというのか!
ゆかりと皐月、寄り添って歩いていた二人の光景が脳裏をよぎった。そう言われれば納得できる。あれはまごう事なく親子の。
「化野の家が親戚だったってわけじゃないんだ。僕の本当の親戚は、その頃、事情があってバラバラになっていてね。本家の当主――ええと、一族の一番偉い人、は、出家――ああっと、お坊さんになって修行中で、そんなわけで僕はどこにも行くところがなくて、すんでのところで孤児院――あ、今は児童養護施設って言うんだったね――に入れられるところだったんだけど」
それを阻止したのがその《一族》で一番若い青年だったのだと言う。
「馨さんっていう、すごく優しいお兄さんでね。今じゃ立派なデザイン事務所の社長さんだけど、当時はまだ東京に出てきたばかりで毎日必死だったって言ってたな。なのに顔も知らない僕なんかのことを気にかけてくれて……それでも最初は一族の中でどうにかするつもりだったみたいだけど、一番頼りになる叔父さんっていうのが海外に絵を描きに行っちゃったとかでどうもこうもならなくて、そのうちゆかりお母さんがその話を耳に入れて」
その頃、若くして既に今の住まいを手に入れていた彼女が誰も手を挙げなかった母親候補に立候補したのだそうだ。
「ウチがバラバラになったのはゆかりお母さんのせいじゃないし、ましてその前に家を飛び出していた僕の母のことなんてお母さんには何の責任もないのに……全く」
困った人だよ。最後の一言はコーヒーの水面に落とされるようにして消えた。
「……じゃあ、おばー……ゆかり、さんは」
おんなでひとつで。
テレビドラマで覚えた単語を口にすると、ずっとだんまりだった沙夜がぷっと吹き出した。
「違う違う、違うのよ」
大げさに手を振り、ずいと顔を突き出した沙夜は声を潜めた。
「お婆ちゃんにはね、ちゃーんと旦那さんがいるの、今でも」
「?」
小春の知る限り、化野ゆかりは一人であの家に住んでいる。反論しようとした小春の唇に、沙夜の白い指がそっと当てられる。そして彼女はニンマリと笑った。
「幽霊なのよ」
「!!!」
皐月を見た。彼は少しだけ困ったように、でも半分以上は誇らしげに顔を輝かせて、やはり娘に似た表情で唇を緩めた。
「信じられないだろう?」
小春は目をパチパチさせるばかりだ。でも、では、
「おじさんは……見えたの?」
「うん」
何ということだ!もう小春の頭は爆発寸前である。
「僕の一族は色々と変わっていて……どうやら僕は生まれつきそういう性質だったみたいだ。だからガクお父さんのことは最初から見えたし、今も」
ビクリと後ろを振り返る小春に皐月は慌てて手を振った。
「大丈夫、そういう意味じゃない、今ここにはいないよ」
途端に大きく息を吐く小春を沙夜が面白そうに見つめている。
「小春ちゃんはオバケ怖い?」
「え、と、あの」
怖いと言ったら失礼になる、でも小春はオバケなど大嫌いだ。あたふたする小春に沙夜はサラリと言った。
「あたしは怖いよ」
目を丸くした小春を、沙夜はいかにも面白そうに見つめ返す。
「だっておじいちゃんってばいきなり壁から顔出すし、布団めくったら添い寝したいとか言って待ってるし、小さい時は恐怖の対象でしかなかったよ。でもね」
怖い怖いと言いながら、その瞳はキラキラと輝いている。
「触れないけどちゃんと見える。年は全然取らないけど、ちゃんとそこにいる。私がいいことをしたら褒めてくれるし、悪いことをしたら叱ってくれる。さすがになかなか人の集まる場所には行けなかったけど、それを取り返すみたいにいっぱいいっぱい遊んでもらった。だから」
その言葉は沙夜の表情と同じく、まるでダイヤモンドのように光を放って小春の眼前に現れる。
「オバケでも、血が繋がっていなくても、私にとっては大事なおじいちゃんで、家族。それは一生変わらない」
オバケでも。
血が繋がっていなくても。
それは、すなわち、
「……おねえちゃん、」
「うん」
人の心を察することに長けている年上の少女はそこで大きく頷く。
「大丈夫だよ。小春ちゃんのお兄ちゃんが、小春ちゃんのパパとママから生まれたんじゃなくても」
「うん」
「何たって生きてんだもん、それだけで全然マシだよ」
「うん」
「私、お父さんほど見える力ないから、調子悪いとおじいちゃんドコにいるかわかんないし。そうするとおじいちゃん拗ねるし」
「こら、沙夜」
「生きてんだもん。大丈夫。生きてさえいりゃあ、どうにでもなるよ」
小春の目から涙が溢れる。沙夜はまるで猫のように足音も立てずに近づくと、そっと小春を抱きしめた。

「さて、と」
ようやく泣き止んだ小春の顔を丁寧に拭うと、沙夜はうんと伸びをして無造作に傍らのバッグの中を探った。
「じゃ、そろそろお兄ちゃんを見つけて、小春ちゃんのことも見つけてもらわなくちゃね。みんな心配してる」
「沙夜?」
訝しげな父親に向けて、どこまでも気の強い娘は不敵に笑った。
「こういう時こそおじいちゃんに役立ってもらわないと。普段、遊んでばっかいるんだから」
「おいおい、」
「あとは……やっぱりトラのおじいちゃんと、案内屋のおじいちゃんかな」
白魚のような指先で画面をひと押し。その後のことはまるで夢の中の出来事のようだった。

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